タマとレゲブと私。 今日も元気で、生きてます。
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命日
2010年03月28日 (日) | 編集 |
寒いけど、大丈夫・・・のイスラエルです。

今日は父の一周忌。
一週間ほど前から、昨年のことが思い起こされて、なんとも言えない気持ちでした。

父が検査入院をしたと知り、その数日後、珍しく新潟から電話がかかってきて、
様態が急変して危ない、と知らせを受けたその日に、日本行きの一番早いチケットを購入。
とにかく「二日後には新潟に到着するから」と兄に連絡を入れて、
新潟に到着するまで、一体どんな状況になっているのかわからないまま、
空港での待ち時間、飛行機の中、新幹線の中・・・
ずっと思考が停止していたことを思い出します。

2009年3月26日の19時に成田に着き、電話する時間もなく電車を乗り継ぎ、
新潟行きの新幹線の中で、やっと父がまだ病院にいることを知りました、
23時に新潟駅に着き、待っていた兄と一緒にそのまま病院へ。
新潟は雪が降っていました。

真っ暗な病院の廊下を歩き、父の病室で私を待っていた母と会い、
酸素マスクをつけ、意識があるかどうかわからない父に向かって、
私は、命いっぱい明るく元気な声で笑顔で「帰ってきたよ、お父さん」と言うと、
父の目は、うなずいたかのように反応してれたと感じました。

27日も28日の昼間も、様態も落ち着いて、顔色もよく、
このまま様態が改善すれば、父を家に連れて帰ることもできるかもね、
でも、まだ安心はできないし、どうなるかわからないな・・・
などと、家族で会話をしている矢先に、病院から心拍数が下がったとの連絡を受け、
急いで病室へ到着し、父の姿を確認して、ひとまず落ち着いたので、と、
担当医から別室で今までの経過を聞いている5分ほどの間に、
再び急変したと看護師が駆け込んできて、父の病室へ戻った時には、
もう父は呼吸をしていない状態でした。

次第に冷たくなっていく父の足をつかみながら、あぁ、父は逝ってしまうのだな、と、
私が帰ってくるまで、がんばってくれたのだな、と、そう思えてならず、
そして、もう何も考えることができず、ただボーと座っていました。

それからのことは、兄と母が葬儀についてあれこれと忙しくなり、
私は海外ボケと時差ぼけが相まって、頭の芯がボーとして、
でも、気の休まる間もなく、唯一、お風呂に浸かっている時にだけ、
声を殺して、泣いていたことを思い出します。

あれからちょうど一年・・・

父を病院から家へつれて帰る道のりの、ボサボサとふる深夜の雪も、
初七日を終え、ひとごごち着いた後の、満開の桜も、友人との花見も、
すべてが、まるで一つのシーンのように、私の頭の中によみがえります。

一周忌の今日、私は新潟へ行くことができなかったけど、
父の写真とお線香で、遠くイスラエルから、父の冥福を祈りました。


(すみません、コメントなしにしました)


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