タマとレゲブと私。 今日も元気で、生きてます。
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子猫の話
2010年01月06日 (水) | 編集 |
昨日、午後のタマの散歩に出かけた時、猫の鳴き声を聞きました。
どこから聞こえてくるのだろう?とタマと耳を済ませていると、
道路の端っこで、座って、一所懸命ないている猫を見つけました。

車の多く通る道の端っこに、なんで、猫が泣いているのか?
でも、車にひかれたりしたらかわいそうだし・・・
タマを近づければ、きっと逃げるだろう、と思って近づいてみると、
予想に反して、タマと私に泣きながら近づいてくるのです。
タマはもう、興奮状態の最高潮。

これは、ヤバイと思い、タマを引きずるようにその場を遠ざかりました。
でも、その猫が気になって、気になって、急いでタマの散歩を終わらせて、
きっとお腹がすいているに違いないとおもったので、
牛乳とパンを持って、猫がいた場所に戻ったのです。

案の定、少し離れた場所でしたが、まだ泣いていました。
そして、私が「おいで」と言うと、泣きながら私のほうへやってきます。
近くで見れば、子猫とも言い切れない大きさで、やせこけて、歩くのもヨロヨロです。
パンを牛乳で浸して口元へやると、必死で食べようとしますが、
甘えるように泣いているばかりで、あまり食べようともしませんでした。
少し食べた後に、下痢になってしまい、明らかに健康状態もよくありません。
泣きながら私の足元によってきて、必死に何かを訴えています。

でも、私にはどうすることもできませんでした。
家に連れてかえることもできませんでした。
ただ、その子猫の姿と泣き声を見ているだけしかできませんでした。
そして、もしかしたら、誰かが助けてくれるかもしれない、という、
かすかな、そして、勝手は希望だけを胸にしまって、
子猫の鳴く声を背中で聞きながら、その場を去ったのです。

そして、今日、子猫のいた場所を通りましたが、子猫を見ることがなかったので、
もしかしたら・・・という希望を抱いていました。
しかし、タマと夕方の散歩をしたときに、子猫のいた場所から随分離れた場所で、
タマが子猫の死骸を見つけました。
道路のそばで、きれいな姿で冷たくなっていました。

私は、ただ、ただ、悔しくて、何もしてやれなかったことが悔しくて、
死んでしまった猫にも、自分自身にも腹立たしくて、どうしようもない気持ちでした。
急いで家に帰り、道具を見繕って、せめて、冷たい夜露に濡れることがないように、
と思い、硬くなった子猫を包み、子猫を始めて見つけた所に、埋めてあげました。

そこは、これからアネモネの花が満開に咲くところです。
どういういきさつで、その子猫がそこにいたのかはわかりません。
でも、野良猫なら人間や犬を警戒するはずなのに、近寄ってきて、
私に甘えるしぐさをしたということは、人間に飼われていた可能性が高いと思います。
誰かが捨てていき、その猫は泣いて飼い主が戻ってくるのを待っていたのでしょうか?

犬をキブツに捨てていくことは、よくある話です。
なぜかキブツに住んでいる人は、捨て犬を世話してくれる、と思われている感があります。
確かに、タマもそのうちの一匹です。
でも、猫は別です。
生命力たくましく、野良猫になって生きていく力があるならばいいですが、
この猫のように、捨てられ、衰弱して死んでいく姿を見取るのは、辛いです。
本当に、辛いです。

こうして、ほんの一時ですが、関わってしまった生き物が、
何の幸も受けることなく、悲しく命を終わるのは、自分の首を絞められるように辛いです。
そして、子猫一匹助けてやることができない、自分の無力さを思い知ります。

まだ、昨日の、あの子猫の鳴き声が、頭から離れません。
そして、冷たくなった子猫の重みが、忘れられません。
どんなにか泣いて、どうやってあそこまで辿り着き、力尽きたのか、
考えるべきことではないことを、考えずにはいられません。


・・・・ごめんね、何もしてやれなくて、
・・・・せめて、安らかに眠ってね


(すみません、今回は、コメントなしにさせてもらいます)
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