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思えば・・・
2007年06月22日 (金) | 編集 |

なぜに、イスラエルにいるのだ、私は 362
確か、映画にもこんなタイトルのやつ、あったよね。(思えば遠くへ・・・)

新潟で生まれ、新潟のうまい米と酒で、人並み以上にでかく育ち、
学校ではいつも一番後ろ、色白のぽっちゃりタイプ・・って感じで、(はっきり言ってデブ)
普通の人間だったと思うんだよな。
でも、ここからが味噌なんだよ、小さなころから、外国にすっごくあこがれていたんだ。
変な日曜学校とか、変な牧師の英会話教室とか、なんか、そういうことをしていたよ。
ちなみに、アメリカにおばさんもいるしね。
絶対自分は、オーストラリアに移住して、外国で生活するんだ、って夢があったね。
どうしてオーストラリアなのかは、多分イメージがよかったんだよ、きっと。

そんな感じで、とりあえず英語はいっぱしにならなければいけない・・・と、勉強はしたけど、
しゃべれるほどにはいたらず、普通レベルの普通。
何か夢を持つ若者でもなく、とりあえずは東京に行きたいと、東京の大学を受け、
ぎりぎりの線で、何とか東京の短大に転がりこみ(神奈川に移転したんだけどね)
きっと素敵な、素晴らしい、おしゃれな、ドラマみたいな生活が待っているんだわー10
・・・・・ってな期待を胸に、上京したわけだ。

もちろん、期待は大外れ。(当然)
田舎ものは所詮田舎もの。どんなに背伸びをしたって、ダメなものはダメさ。
大体、佐藤家はバカがつくほど正直でまじめで、間違ったことはできないんだから・・・・
まじめに学校言って、まじめにバイトして、まじめにサークルして、
気がついたらもう就職活動よ。

何とか東京に残る策はないかと、とりあえず大手ばかり受けて、全滅。
唯一受かったのは、一番行きたくなかった地元の銀行。
人生ってさ、所詮こんなもんだよね。
その銀行で結局5年働いたよ。(すぐやめるつもりだったけど、石の上にも3年といわれ、
3年間、考えてみることにしたのさ。やっぱりそこらへんが佐藤家の血筋)

まっ、今思えば、すべてはイスラエルに至るための、付箋だったんだけどね。

続く・・・・・


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